福岡生活お役立ち

博多と福岡ってどう違うの?

九州から縁遠い人に「福岡と博多は違う」と言うと、とても意外な顔をされます。また、福岡市には博多区という区があるため、博多は福岡の一部だと認識している人も多くいます。あながち間違ってはいませんが、歴史を紐解いたり、現在の福岡の街の状況から鑑みると必ずしも正確な認識ではないということがわかります。

博多ってどんな場所なの?

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歴史的に見ると、「博多」という地名は「福岡」よりも古くから存在します。博多は本来、九州全体を統括する官庁であった大宰府の外港に当たり、その起源は7世紀まで遡ることができます。この地から遣唐使船が派遣されたことで、次第に貿易都市化していきます。
古来の博多は現在の博多区よりも狭く、およそ那珂川と三笠川の範囲に限定されます。そこに博多浜という基部と、その海岸にあった砂州に土壌が堆積してできた息浜という島があり、それぞれの浜が繋がってひょうたん型の中洲として成立したのが、古代の博多なのです。戦国時代に入るまで博多は日本最大の貿易都市で中国のみならず東南アジアなどからの多くの物資が集積されたため、現在「古代の博多」と呼ばれる場所で建築工事などを行うと、ほぼ確実に陶磁器などの遺物が発掘されます。歴史的背景が古い場所で、8世紀から既に勧請されていたとされる櫛田神社や『日本最初之禅窟』と言われる臨済宗の聖福寺など、歴史ある建物が各所に散在しています。
長い期間日本中の人から貿易都市・博多として慣れ親しんできたため、「福岡に対するイメージは無くとも、博多のことは知っている」という人がいても不思議ではないのです。

福岡ってどんな場所なの?

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一概に「福岡」と言ってもその用例は広いため、一言で「これが福岡である」とその特徴の全てを言い表すことはできません。「福岡」が福岡市を指すのか、博多エリアと対比した上での福岡エリアを指すのかをまず明らかにする必要があります。ここでは後者の「福岡エリア」について、その歴史的なりたちを述べます。
まず、博多は戦国時代に入り戦禍によって荒廃してしまいます。博多はその後、豊臣秀吉が町割りを整えて貿易商人らを呼び戻して復興しますが、この後に黒田氏が入部して現在の舞鶴公園の位置に福岡城を築城して本拠地に定めます。この周辺に城下町が建設されて、「福岡」と呼ばれる町が形成されたのです。従って、福岡と呼ばれる場所と博多と呼ばれる場所は歴史的に全く違っているのです。ちなみに「福岡」とは黒田氏発祥の地である備前国福岡にちなんで付けられました。以後、福岡は福岡城を中心とした武士の町、これに隣接する博多は商人が住む商売の町として日本でも珍しい双子都市として知られるようになります。
また福岡市は現在では九州最大の都市と認識されていますが、1979年まで九州最多の人口を誇っていたのは北九州市だったため、実は福岡市が九州最大の都市であるという認識は、決して古くからのものではありません。

現在の博多エリアと福岡エリア

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歴史的に形成の過程が全く違う博多と福岡。その違いは現在でも受け継がれており、福岡市博多区そして中央区に住んでいる人間は、厳密に双方を区別します。また、都市としての発達もエリアごとで分かれており、現在も双子都市としての様相は変わっておらず、日本全体から見ても大変面白い都市であると言えるでしょう。
現在の博多エリアを代表するのが、近年大規模な都市開発で急速に発展した博多駅周辺です。博多駅のビルに入る博多阪急を中心に様々な店舗が軒を並べており、またオフィス街としても有名です。これに対して福岡エリアを代表するのが、電鉄が通っていた渡辺通りを中心とする天神です。渡辺通りの地下に伸びる天神地下街を基調としてパルコ・三井・大丸などの百貨店が林立しており、常に人通りが絶えません。双方はやや離れていますが、西鉄の100円循環バスなどが走っており、福岡が日本で有数の住みやすい都市と言われるゆえんを実感できます。
また、福岡の歓楽街と言えば中洲が有名ですが、この中洲は博多エリアと福岡エリアを分ける那珂川に出来た文字通りの中州を指し、双方の都市に挟まれているという立地的な有利さで、江戸時代から時間をかけて現在のような歓楽街に発達しました。こうして見ると、福岡は別個に漸次発達してきた都市が合わさって構成された場所であるとわかります。

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