福岡の豆知識
郷土の誇り、福岡出身のスポーツ選手
九州地方の政令指定都市であり、日本の4大都市圏の一つでもある福岡市は、多数のスポーツ選手を輩出しており、日本全国、そして海外でも活躍している人が多いです。今回は様々な分野において、特に著名なスポーツ選手を紹介していきましょう。
主力として大活躍!福岡出身のプロ野球選手を紹介
まずは野球選手から紹介していきます。地元福岡ソフトバンクホークスで、主力として活躍している本多雄一選手は大野城市の出身です。2005年ドラフトで入団し、ルーキーイヤーから貴重な戦力となっています。走攻守三拍子揃った選手で、不動の二塁手として活躍が目覚ましいです。
次に紹介するのは春日市生まれ、大野城市で年少時代を過ごした杉内俊哉投手です。2001年に当時のダイエーホークスに入団、2年目から早くも先発ローテーションの一角を担い、勝ち星を積み重ねていきます。2012年にはFAで巨人に入団、ノーヒットノーランを達成するなど、3年連続二桁勝利をあげました。球界一とも言われる綺麗で滑らかなピッチングホームから繰り出される、緩い変化球と鋭いストレートのギャップは、対戦するバッターを翻弄しています。
最後に紹介するのは糟屋郡篠栗町出身の村田修一選手です。日本大学時代には通算20本塁打を放つなど東都大学リーグ屈指の強打者でした。2002年ドラフトで当時の横浜ベイスターズに入団。1年目から25本塁打を放つなど、スラッガーとしての才能を早くも開花させます。以降、本塁打王を2度獲得するなど、不動の4番バッターとして君臨。2012年にFAで巨人に移籍してからも2年連続フル出場を果たすなど、貴重な戦力としての働きぶりが顕著です。
世界でも活躍が目覚ましい福岡出身のサッカー選手とは
サッカーでも福岡出身の選手は多数存在します。まず紹介するのは北九州市出身の東慶悟選手です。2006年に大分トリニータU-18に加入、その3年後にトップチームへ昇格します。攻撃的ポジションに配置され、1年目から23試合に出場するなど活躍しました。その後大宮アルディージャ、FC東京へと移籍。各年代の日本代表にも選出され、2010年のアジア競技大会では優勝も経験しました。そのサッカースタイルには非凡なものがあり、守備的ポジションでも奔走する万能選手です。
次に紹介するのは同じく北九州市出身の平山相太選手です。幼少時から恵まれた体格と素質で一目置かれる存在でした。高校時代には全国高等学校サッカー選手権で優勝を果たし、さらに2年連続得点王を記録するなど大活躍。高校生ながらオリンピック日本代表に選出されるなどの実績を残しました。高校卒業後はオランダのプロリーグを経た後FC東京に入団、フォワードとして主力級の活躍を見せています。
最後に紹介するのは苅田町出身の大久保嘉人選手です。前出平山選手と同じ国見高校の出身で、主要3大会で優勝するなど華々しい実績を残しました。各クラブの激しい争奪戦ののち、2001年セレッソ大阪へ入団。持ち前のスピードを生かした素早い動きで、フォワードとして得点を量産、Jリーグ歴代通算ゴール数でも上位にランクインしています。スペインやドイツリーグでも活躍、さらに日本代表としても躍動するなど、世界にその名をとどろかせています。
他にもまだまだ存在する!福岡県出身のスポーツ選手
野球やサッカー以外にも福岡県出身のスポーツ選手は数多く存在します。相撲の世界では1800年代に雲龍関、不知火関、梅ヶ谷関という3人の福岡出身の横綱を輩出しました。現代においても多数存在し、2015年現在大関の地位にいる琴奨菊関は、柳川市出身の関取です。2002年に初土俵を踏み順調に出世、2005年には新入幕を果たします。十両落ちを一度経験するものの、再入幕後は幕内上位陣の一角として安定した相撲を取り続け、2011年末にはついに大関へと昇進します。左四つとがぶり寄りを得意とし、その力強い相撲ぶりは毎回手に汗握る熱戦となります。
その他スポーツ分野において活躍する主な選手も紹介していきましょう。新日本プロレスで主役級レスラーとして活躍した坂口征二氏、同じく新日本プロレスを中心として各マットで活躍した佐々木健介氏も福岡県の出身です。競馬の世界では東西でリーディングジョッキー争いを繰り広げている内田博幸騎手、浜中俊騎手が該当します。ソフトボールでは北京五輪でエースピッチャーとして活躍した上野由岐子選手、同じ北京五輪、そしてロンドン五輪で上位に入賞したバドミントンの「オグシオ」こと潮田玲子さんも福岡県出身です。2015年ラグビーワールドカップで大健闘、プレースキックの際の「ルーティン」が日本中で大きな話題となった五郎丸歩選手は福岡市出身です。
他にも、ここでは紹介しきれない数多くの福岡県出身スポーツ選手がいます。
福岡が舞台の映画、ドラマといえば?
福岡市を舞台に始まるドラマといえば、「マー姉ちゃん」が記憶に残ります。「サザエさん」の原作者である長谷川町子さんの家族の物語です。映画では、福岡県出身の陣内孝則さんが監督を務めた「ROCKERS」。実話にちなんだ福岡ロケ地エピソードが盛り込まれた作品です。
NHK連続テレビドラマ「マー姉ちゃん」
小山内美江子さん脚本による1979年4月2日から9月29日までNHKで放送された「マー姉ちゃん」は、福岡市で育った長谷川町子さんの自伝エッセイ漫画「サザエさんうちあけ話」が原作となる家族の物語です。主人公である町子さんのお姉さんの「マリコ」さんを熊谷真美さんが演じています。サザエさん誕生までの歩みなど、家族やその周りで関わっていく著名人の人々との触れ合いを生き生きと描いています。福岡市の町中や海岸を走っているシーンも登場します。様々な困難を迎えながらも明るく楽天的な家族が織りなすこのドラマは、平均視聴率42,8%を記録しています。
福岡で誕生した「サザエさん」でも、波平さんが福岡出身だということや、マスオさんとのお見合いの場所が福岡市のデパードだという事の他にも、福岡にちなんだエピソードがでてきます。主人公マリコの夫役である田中健さんも福岡県出身です。ドラマに出てくる著名人の人々を見ても、いかに福岡県出身の有名人が多いかと感じてしまいます。
また、大野雄二さん作曲によるオープニングテーマソングも、ストーリーに合った軽快な音楽で人気を呼んだ作品でもあります。
映画「ROCKERS(ロッカーズ)」
福岡県出身である陣内孝則さんが監督を務める映画「ROCKERS]は、2003年に公開されました。陣内さんがかつて在籍していたバンド「THE ROCKERS」の青春時代を描いた実話に基づいた自伝的映画作品です。ギタリストの谷信雄さんの事故死により企画されたこの映画には、福岡の人情味あふれる町並みや風景が取り入れられています。演出もコミカルに描かれていながらも感動的な作品です。
売れない時代にくすぶっていた福岡の文化館や神社、ケンカしたり騒いだりしながら通った中洲、行きつけのラーメン居酒屋などが登場します。また、次々とスターを送りだし日本中に有名となった福岡のライブ喫茶「照和」をロッカーズも目指します。そして、ステージを踏むことになりますが登竜門となったのでしょうか。福岡の名所ともなる「照和」には、観光地としてだけではなく、スターを目指す人も各地から訪れています。練習の時からメンバーが使っていた谷さん遺品のギターは、映画の中でも使われています。
この映画「ロッカーズ」には、谷さんと親交のあった地元福岡県出身の俳優さん達も多く出演しています。
福岡ロケ地ツアーにもなる舞台作品
その他にも、福岡市を舞台にした作品は多く、ロケ地ツアーなる企画も存在します。
ドラマ「バンビーノ」では、福岡市天神の遊歩道や大濠公園、中洲など福岡の壮大な自然の中にも活気あふれる雰囲気を感じられるシーンが多く出てきます。また、ドラマ「西部警察」では、こんなエピソードもあります。石原裕次郎さんが闘病中、応援してくれた全国のファンへの感謝の気持ちと共に大規模な演出を企画したいという思いから、全国縦断ロケが始まりました。その中の一つに「福岡編」もあり、博多埠頭やどんたく祭りなども登場します。
福岡市出身の漫画家「長谷川法世」さん原作のNHK連続ドラマ「走らんか!」も博多人形師にまつわる博多っ子純情物語で、1995年10月2日から1996年3月30日まで放送され、男性が主人公ということで話題となりました。博多弁も魅力的な演出で織り込まれています。シーサイドももち、福岡ドームやJR博多駅などのシーンもあり、福岡市が舞台の代表的な作品の一つです。また、海外でも福岡市のイメージとストーリーがマッチして作られた映画も多く存在します。
福岡の歴史。戦国時代から江戸時代まで
古代に九州の統括府である大宰府が置かれたことで、九州を支配するためにはまず現在の福岡市とその周辺を押さえなければならないと考えられていました。そのような歴史的風潮は中世以降も続き、福岡は西国大名たちにとって最も重要な係争地となっていくのです。
実はかなりの長期間!?福岡は日本で最も戦国的状況が長い
一般的に戦国時代とは、応仁の乱以降から始まるとされています。しかし、戦国的な状況が波及していくのには地域的に段階差があり、一律的に日本全体が戦国時代に突入したわけではありません。「戦闘状態が断続的に継続する状況を戦国時代」と規定するのであれば、実は日本で最も早く戦国時代に突入した地域は福岡なのです。その始まりは、南北朝時代に後醍醐天皇方に敗れた足利尊氏が福岡に落ちのび、多々良川のほとりで後醍醐天皇方の軍勢と合戦をした所まで遡ります。
また、九州に拠点を置いた後醍醐天皇方の征西将軍府と足利尊氏の幕府方がまさに福岡で鎬を削っている最中、幕府方で反旗を翻した軍勢が九州に流入してきたことで、福岡を中心とした九州地方では錯綜した状況で戦乱が繰り返されます。足利義満が今川了俊という名うての武将を福岡に派遣するまでこの戦乱は継続し、1392年の南北朝の合一をもって九州での宮方と武家方の対立は収束します。こうした福岡を主な舞台とした『観応の擾乱』と呼ばれる戦乱状況により、福岡では14世紀中期から既に戦国時代としての様相を呈していたと言えるのです。
戦国時代を先取り?熾烈な博多争奪戦
福岡の中でも博多を支配することには、中世において特別な意味がありました。その理由は、ひとえに博多が日本最大の貿易都市だったためです。博多の支配は巨万の富を得ることに等しかったため、南北朝の動乱が収束して以降も、在地勢力の間で熾烈な博多争奪戦が繰り広げられ、さながら戦国時代を先取りしたような状況を示していました。
本来博多を含む福岡地方を支配していたのは、少弐氏という鎌倉時代からの武将の家柄でした。しかし、福岡を重要地と認識した室町幕府による「九州探題」という九州武士の統括官の派遣が、福岡の状況をより混迷へと導いていきます。九州探題が今川了俊から渋川満頼に代わると、当時の少弐氏の頭主であった満貞と鋭く対立するようになります。渋川満頼から子の義俊へ九州探題職が移ると渋川氏の勢力は衰微していき、これを助けるために山口を拠点としていた大内持世が博多に進出してきます。
以後は主にこの少弐氏と大内氏の間で博多争奪戦が繰り広げられ、幕府の権力を背景としていた大内氏が次第に福岡での地歩を固めていき、日本が戦国時代に突入した時期に福岡へ進軍した大内政弘によって、この少弐氏と大内氏の戦いは大内氏勝利で終焉を迎えるのです。
裏切りによる焦土から復興へ
戦国時代に福岡で支配権を確立した大内氏でしたが、16世紀中期に入ると家臣らの謀反により急激に勢力を失っていきます。山口でも大内氏の勢力が衰えたことで、博多を中心とする福岡の支配は、長らく博多の北半分を遠隔地支配していた大友氏によって担われるようになります。しかし、大友氏も本国である豊後(大分県)の支配を固めねばならず、一時博多支配が覚束なくなります。この隙に乗じて大友氏に反旗を翻したのが、元少弐氏の一族であった筑紫惟門という武将です。惟門は福岡から他勢力を排除するために、博多に火を放ちます。これにより、約800年にわたって貿易都市として栄えた博多は一度完全なる焦土と化してしまいます。
これを復興したのが豊臣秀吉です。秀吉は朝鮮出兵を行うために、博多を兵站基地として活用することを思いつき、これにより博多の町は再整備されます。そして豊臣氏から関が原の戦い・大阪冬の陣・夏の陣を経て徳川氏に政権が移ると、小早川氏に代わって黒田長政が初代福岡藩主として着任します。長政以後は「黒田騒動」と言われる藩存続の危機を迎えますが、これを乗り切った黒田氏は長く福岡藩を統治することになるのです。
福岡ソフトバンクホークス。苦難と栄光の歴史
福岡ソフトバンクホークスといえば2014年は日本一に輝き、2015年もダントツのリーグ優勝を遂げたパ・リーグ屈指の強豪球団です。しかしそのような競合球団になるまでには成績不振の時期もあり、辛くて長い道のりがありました。
南海ホークスから福岡ダイエーホークスが誕生
福岡に西鉄ライオンズ以来となるプロ野球チームが誕生したのは1989年。それまで関西に本拠地を構えていた南海ホークスが、親会社の南海電鉄が球団を手放し、大手スーパーのダイエーが新たに親会社となったのです。南海ホークスといえば昭和40年代までは鶴岡一人監督のもと、屈指のパ・リーグ強豪球団でしたが、昭和50年代に入り野村克也選手兼任監督が追放されると低迷。その後昭和末期まではずっとBクラスをさまよっているというチームでした。
一念発起して1989年に福岡ダイエーホークスとなり、田淵監督や根本監督が就任するものの、中々Aクラスにはなれず。1993年には開閉型である福岡ドームを本拠地に移し、西武から移籍した秋山幸二を迎えるなど、徐々に後の強豪球団への布石を打っていきました。1994年には4位ながら勝率5割を久々に超え、1995年には世界のホームラン王、王貞治が監督に就任。飛躍が期待されましたが1995年は低迷し、翌1996年には監督の乗るバスに生卵が投げつけられる事件も発生しました。しかしドラフト戦略の成功や、FAで工藤公康などの好投手が移籍してきた影響もあり、1999年には26年ぶりとなるリーグ優勝を遂げました。
ダイエーホークスの飛躍と思わぬ困難
1999年には中日ドラゴンズを破りなんと日本一にも輝きました。翌2000年も連覇を遂げ、すっかり王者西武を超える強豪球団としての風格もついてきました。この年の日本シリーズはセリーグ優勝の読売ジャイアンツと激突。長嶋茂雄監督と王貞治監督という巨人のV9を支えたONが対決するONシリーズとして大きな注目を浴びました。この年は巨人に2勝4敗で敗れ日本一は逃します。
2001、2002は近鉄、西武に優勝を譲ったものの、2003年はセリーグ優勝の阪神を破り4年ぶりの日本一に。ダイハード打線と呼ばれた破壊力抜群の打線がその威力を遺憾なく発揮しました。しかし2004年開幕を前に主砲小久保裕紀がなんと無償トレードで巨人に移籍。大きな波紋を呼びました。この年はリーグ戦で勝率1位だったものに、同年から導入されたプレーオフで西武に敗れて優勝を逃します。そしてなんと親会社であるダイエーが経営困難に陥り、球団を手放す事態に。小久保の放出もこれが原因と言われています。
そして2005年からはソフトバンクが親会社になり、福岡ソフトバンクホークスとして生まれ変わったのです。
福岡ソフトバンクホークスの10年間と11年目から
新生福岡ソフトバンクホークスは翌2005年も勝率は1位だったものの、やはりロッテにプレーオフで敗れたために優勝を逃し、実質3連覇だったはずが、3年で優勝が1回という結果に終わります。このころからすっかりポストシーズンに弱いホークスという評判が立ってしまいました。2006、2007はシーズンの覇者を日本ハムに奪われ、ポストシーズンでもあっさり敗退。2008年はなんと最下位に沈み、14年間指揮をした王監督も現場を去る結果になります。
2009年は秋山監督を迎えますがシーズンは3位で終わり日本シリーズ進出もならず。2010年は久しぶりにシーズン1位に輝きましたが、やはりロッテにポストシーズンで敗れ日本シリーズは出られませんでした。念願のシリーズ進出を久しぶりに果たしたのは2011年。圧倒的な強さでリーグを制し、シリーズも中日を破り見事8年ぶりの日本一に。主力の放出もあり2012,2013は優勝できませんでしたが、大型補強をした2014年はオリックスとのデッドヒートの末優勝し、シリーズも阪神を下しました。
21世紀に入ってからは3度の日本一は巨人と同じで最多と誰もが認める強豪球団となりました。2015年はトリプルスリーを達成した柳田悠岐を中心に、松田や内川、李などの強力打線で9月中旬に優勝し、2位に10ゲーム以上の差をつけました。V9巨人に匹敵する強さとも評されており、黄金時代の幕開けか、と注目されています。
美男美女ぞろい。福岡出身の芸能人というと。
福岡と言えば博多湾を挟んで大陸に向き合った土地であり、古くから最先端の文化を取り入れる気風があります。福岡出身の有名人も多く排出しており、現在テレビで活躍する人気芸能人が実は福岡出身だったと言うケースも珍しくありません。
日本を代表する人気タレント
タモリさんと言えば、四ヶ国語マージャンや「タモリ倶楽部」などで知られている日本を代表する芸能人です。2014年に終了した「森田一義アワー・笑っていいとも!」は長らく日本のお昼を代表する人気テレビ番組でした。タモリさんは福岡県福岡市の出身であり、大学に進学するまで福岡での生活を楽しんでいました。
福岡で暮らしていた時代は喫茶店の名物オーナーとして地元で名前を馳せており、山下洋輔さんや武田鉄矢さんなど数多くの著名人がタモリさんの働く喫茶店に足を運んでいます。
当時からインチキ外国語を話して笑いをとったり機転が利くユーモアでお客さんを笑わせていたタモリさんは、一躍福岡を代表する人気者となり、周囲の人達が集まってタモリさんを東京デビューさせようと試みました。そこからタモリさんを上京させるためのカンパが集められ、東京に進出する事となったのです。タモリさんの活躍は、福岡で暮らす人達の温かな地域性が生み出したものであるとも言えます。テレビで活躍する大スターとなった後も、タモリさんは福岡時代の思い出を自分から語っています。「ブラタモリ」と言う冠番組では福岡にも足を運びました。
日本の映画界を背負う筆頭女優と男優
蒼井優さんと言えば今やテレビだけでなく映画でも引っ張りだこの有名女優とです。透明感のあるルックスと堅実な演技力が多くの視聴者から支持を集めています。
蒼井優さんも福岡県福岡市出身の女優であり、中学校の半ばで転向するまで地元の生活を楽しんでいました。2013年の時点でも福岡の訛りが抜けないと告白している蒼井さんですから、福岡で過ごした暮らしは彼女の奥深く染み付いている事が分かります。
蒼井優さんの他にも福岡出身で知られる役者さんと言えば、妻夫木さんが有名です。妻夫木さんは福岡県柳川市出身であり、神奈川県に引っ越しするまで福岡で生活していました。芸能界デビュー後は、仕事の関係で良く福岡に足を運ぶ機会がありますが、お気に入りの「お好み焼き屋」がある事を告白しています。また妻夫木さんは女性に対して亭主関白である事を告白していますから、九州男児気質の男性である事が分かります。こうした九州男児気質は仕事に対しても現れており、職人としての強い誇りを持って演技に取り組んでいるのです。蒼井優さんも妻武器さんも舞台から映画まで幅広い仕事に取り組んでいる役者さんですが、そうした努力家な部分は福岡が育んだものであると言えます。
福岡愛の強い女性アイドル
橋本環奈さんと言えば「はしかん」の愛称で知られる人気アイドルです。「1000年に1人の美少女」として爆発的な人気を誇る日本を代表する芸能人です。
橋本さんは福岡県出身のアイドルであり、福岡県の芸能プロダクションに所属しています。元々東京ではなく福岡ローカルで活動するアイドルグループの一員であり、そこから全国的に人気に火がつきました。橋本さんを写した「奇跡の一枚」と呼ばれる写真がインターネット上で拡散し、幅広いメディアで注目を集めたのです。異国情緒漂う目元と透き通った素肌はまさしく「博多美人」を体現している存在であり、全国的に人気が爆発する理由も頷けます。
橋本さんの福岡愛は大変強く、好きなお笑い芸人の中にも福岡出身の人達を挙げるほどです。全国区で放送されているテレビ番組に出るようになってからも地元福岡のローカル番組と掛け持ちしながら出演しています。九州の女性と言えば芯が強い事で知られていますが、橋本さんも天使のような外見に比べて内面はやんちゃな女性として知られています。しっかり者だからこそ十代の頃から日本を代表するアイドルとして活躍を続けられるのです。