福岡の豆知識

福岡ソフトバンクホークス。苦難と栄光の歴史

福岡ソフトバンクホークスといえば2014年は日本一に輝き、2015年もダントツのリーグ優勝を遂げたパ・リーグ屈指の強豪球団です。しかしそのような競合球団になるまでには成績不振の時期もあり、辛くて長い道のりがありました。

南海ホークスから福岡ダイエーホークスが誕生


福岡に西鉄ライオンズ以来となるプロ野球チームが誕生したのは1989年。それまで関西に本拠地を構えていた南海ホークスが、親会社の南海電鉄が球団を手放し、大手スーパーのダイエーが新たに親会社となったのです。南海ホークスといえば昭和40年代までは鶴岡一人監督のもと、屈指のパ・リーグ強豪球団でしたが、昭和50年代に入り野村克也選手兼任監督が追放されると低迷。その後昭和末期まではずっとBクラスをさまよっているというチームでした。
一念発起して1989年に福岡ダイエーホークスとなり、田淵監督や根本監督が就任するものの、中々Aクラスにはなれず。1993年には開閉型である福岡ドームを本拠地に移し、西武から移籍した秋山幸二を迎えるなど、徐々に後の強豪球団への布石を打っていきました。1994年には4位ながら勝率5割を久々に超え、1995年には世界のホームラン王、王貞治が監督に就任。飛躍が期待されましたが1995年は低迷し、翌1996年には監督の乗るバスに生卵が投げつけられる事件も発生しました。しかしドラフト戦略の成功や、FAで工藤公康などの好投手が移籍してきた影響もあり、1999年には26年ぶりとなるリーグ優勝を遂げました。

ダイエーホークスの飛躍と思わぬ困難


1999年には中日ドラゴンズを破りなんと日本一にも輝きました。翌2000年も連覇を遂げ、すっかり王者西武を超える強豪球団としての風格もついてきました。この年の日本シリーズはセリーグ優勝の読売ジャイアンツと激突。長嶋茂雄監督と王貞治監督という巨人のV9を支えたONが対決するONシリーズとして大きな注目を浴びました。この年は巨人に2勝4敗で敗れ日本一は逃します。
2001、2002は近鉄、西武に優勝を譲ったものの、2003年はセリーグ優勝の阪神を破り4年ぶりの日本一に。ダイハード打線と呼ばれた破壊力抜群の打線がその威力を遺憾なく発揮しました。しかし2004年開幕を前に主砲小久保裕紀がなんと無償トレードで巨人に移籍。大きな波紋を呼びました。この年はリーグ戦で勝率1位だったものに、同年から導入されたプレーオフで西武に敗れて優勝を逃します。そしてなんと親会社であるダイエーが経営困難に陥り、球団を手放す事態に。小久保の放出もこれが原因と言われています。
そして2005年からはソフトバンクが親会社になり、福岡ソフトバンクホークスとして生まれ変わったのです。

福岡ソフトバンクホークスの10年間と11年目から


新生福岡ソフトバンクホークスは翌2005年も勝率は1位だったものの、やはりロッテにプレーオフで敗れたために優勝を逃し、実質3連覇だったはずが、3年で優勝が1回という結果に終わります。このころからすっかりポストシーズンに弱いホークスという評判が立ってしまいました。2006、2007はシーズンの覇者を日本ハムに奪われ、ポストシーズンでもあっさり敗退。2008年はなんと最下位に沈み、14年間指揮をした王監督も現場を去る結果になります。
2009年は秋山監督を迎えますがシーズンは3位で終わり日本シリーズ進出もならず。2010年は久しぶりにシーズン1位に輝きましたが、やはりロッテにポストシーズンで敗れ日本シリーズは出られませんでした。念願のシリーズ進出を久しぶりに果たしたのは2011年。圧倒的な強さでリーグを制し、シリーズも中日を破り見事8年ぶりの日本一に。主力の放出もあり2012,2013は優勝できませんでしたが、大型補強をした2014年はオリックスとのデッドヒートの末優勝し、シリーズも阪神を下しました。
21世紀に入ってからは3度の日本一は巨人と同じで最多と誰もが認める強豪球団となりました。2015年はトリプルスリーを達成した柳田悠岐を中心に、松田や内川、李などの強力打線で9月中旬に優勝し、2位に10ゲーム以上の差をつけました。V9巨人に匹敵する強さとも評されており、黄金時代の幕開けか、と注目されています。

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